西川美和監督のディア・ドクター観たよ

西川美和監督の永い言い訳が10月14日に公開になります。過去に書いたディアドクターの感想です。


『人は誰もが何かになりすまして生きている』

『人生の終わりに本当に必要なものはなんですか』



映画『永い言い訳』予告編


『ディア・ドクター』予告編

蛇イチゴ、ゆれる、とディア・ドクター。
全部一緒。
何が正しくて何が正しくないのか。
正しいて何なのか。
きっと鶴瓶は軽い気持ちで医者だと偽ったのだと思う。
憧れもあったのだと思う。
最初はきっと楽しかっただろう。
村人に歓迎されて頼られて。
それがだんだんとそうじゃなくなる。
罪の意識で。
だけど鶴瓶は詐欺師ではないから、
医者ではないが、
村人の病気をなんとかしたいと思ったのだろう。
それは純粋な気持ちで。
医者だと偽ったのと同じ純粋な気持ちで。
八千草薫のガンは当然鶴瓶には治せるわけないんだけど、
それでも医学書読んだり、
医学以外で自分は何ができるんだろうと思い、
夜中まで本を読む。
そうしたのは、背負ってしまったから。
だけど、背負ったものがだんだん重くなって重くなって逃げ出したくなって、
それでも逃げることができなくて、ずるずると続けて。
逃げたい、でもなんとかしてあげたいと思う、
そんな葛藤が毎日あって、日に日にそれが大きくなっていったんだろう。

鶴瓶がしたこと、
井川遥がしたこと、
香川照之がしたこと、
瑛太がしたこと、
余さんがしたこと、
は悪いことなのか、良いことなのか。
結局何が良くて悪くてなんて周りの人が決めるしかできないのかもしれない。
自分では結局、自己満足や自己完結、でしかないのかもしれない。

ものごとはひとつの面から見て決められるものではないし、
あるとき変わったりもする。
ある人から見たら白いものが、
違う人から見たら黒いことなんてよくあるだろう。
ものごとというか、人、というか、人のすること、というか。
怖いのは決めつけちゃうことだと思う。

最後の八千草薫の笑顔がすべてのような気がした。
いい映画だった。
井川遥も綺麗だった。

「それは愛ですか。」

「伊野さんだったらどんな風に母を死なせたのだろう、て考えるんです。」

「結局あの人が何をしたと思います?」「なんにも。」