本気になるということ

タイムラインに流れてきた吉本ばななのツイート、

社会にいるということはいろいろな誤解を受けるということです。それを晴らすとか晴らさないとか考えるより、ひたすらに身の回りの大切な人たちや私の場合ならずっと読んでくださる人たちに感謝をして、「書き続ける」しかない。それが生きていくということだと思う。とても単純なことです。

その後、フェイスブックでYAMAPの春山さんが書いていた。

6年目の秋。もう一度ここから。
誰かに頼まれてはじめた事業じゃない。自分(たち)で信じて、自分(たち)で勝手にはじめた事業。だったら本気でやるのが筋。
妄想でつくりあげた"誰か”に惑わされることなく、自分(たち)の生命に宿る神さまを信じて邁進するのみ。
初心忘れず。
秋の夜長に。


f:id:mount_po:20180922141824j:plain今年の今池祭りで見たキングブラザーズがかっこよかったのは、マーヤが大声で叫んで客に向かってダイブして担がれて流されながら歌うことではなかった。本気だったからだ。全てのパフォーマンスに対してマーヤとケイゾーが本気だったからかっこよかったんだろう。


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今週のアフロ田中は西田の回だった。ザオラルはラインじゃなくて、顔を見て思いの丈をすべて吐き出すことで、西田は思いの丈をぶちまけた。


私くらいの年になると、一般的には結婚して家庭ができて、恋愛に本気になる必要はない。仕事は10年あるいは20年続けていれば、毎日120%で働く人もなかなかいないように思う。私は今、何かに本気になることがない。だからこの宙ぶらりんな状態なんだろう。何も結果が出ていない。当たり前だ。